亡き妻の俳句から

 

佐渡見えていて夏潮の音を聞き

シズ

今夏、エアコンを入れ、その配管が目障りであったため、これを隠すため板に妻の俳句を彫り目隠しにした、以後、写真等を掲額、その有様を記念にアップしたものである。

俳句天衣を主宰する岬先生建立句

幸すこし不幸をすこし
走馬灯
     

岬 雪夫

真ん中にろうそくをたて、灯をともすと薄紙に映った人物、草木、動物などの影絵が走って見える走馬灯は、過ぎ去った歳月への思い出、すでに故人となった人への回想などをかきたてて郷愁にみちています。

人の一生は走馬灯のごとしとよくいわれるように、そのときどきの幸せ、不幸せをも思い起こさせて心をしみじみとさせます。

一生を不幸せばかりで終わる人もないでしょうし、幸せの連続という人もあまりいないでしょう、人間の生涯は平均的に、ほんの少々の幸、ほんの少々の不幸とでおりなされているように思われます。

その当座は不幸のどん底だと思っていたことも時の経過に浄化され、ろ過されて、まあこれでよかったのではないかと、欲をいったらきりがないからなと、誰しもおのれの人生に多かれ少なかれ、満足することでしょう。

また、そうでなかったら、生きている、あるいは生きている意味はありません。

そうしたことを漠然と考えながら彼は夏の夜のひとときを走馬灯に対しているのでありましょう。十才には十才の、三十には三十の、八十には八十のさびしさがあり、それぞれの年令が感じる淋しさは、走馬灯の側にいるとき、いっそう深く、切なるものがあるように思われてなりません。

幸すこし不幸すこし
走馬灯
   

岬 雪夫

シズが晩年お世話になった、天衣 岬 雪夫主宰句建立記念に寄せられた朗読文です

NHKラジオ アナウンサー 中西龍(鑑賞朗読)

 

 

壁に掲げた様子