2006/08/31 上恵土にて

闘病生活3

退院・家庭療養・永眠

2006年3月27日、退院

退院時、先生から何でも好きなものを食べてよいと言われていた。

本人は、別段好みのものを言うわけでもなく、娘の作ってくれる免疫力のつくものを食べていた。

退院当初は、少量ではあるが食事を取っていたが、夏を過ぎる頃から更に細くなり、体重も減り続けた。

入居して間もない庭には、庭木を入れるため山砂を入れてあるので、そこに夏野菜を作ると言うので、本人が指図して、堆肥を入れ苗を植えた。

夏の朝一に庭先に降り、胡瓜、トマト、茄子等を採る、側に少年も笊をもって従った。

初夏の頃、ミシンを出してくれと言うので出してやると、2回ほどミシンに向かった覚えがある。また、洗濯物をたたむのが自分に出来るものと毎日続けていた、そんな時少年も側で手伝った、たたみ方もそのとき覚えた。

秋になって、トイレに立つことも出来なくなって、介護認定を受け要介護2の認定、後、介護3の認定、以後、車椅子、寝たきりの状態となる。

2006年12月19日朝、眠っているかのように見えたが、意識が無くなっていた。

直ぐに救急車で入院、ブドウ糖を注入したら意識が回復した。

同月26日、少年は午前3時頃目が覚め、寝付かれずテーブルに向かい、次のようなことをメモ書きした。

「世界一の女を娶り、俺は世界一の至福者であった。ありがとう」

明るくなるのを待って、病院に駆けつけたところ、眠っているかのようにみえたが意識は無かった。

直ぐに治療して貰うと、意識回復、喋ることは出来なかったが、視力、聴力はあった、そこで、前期メモ書きを目の前に示し、分かったと言うと、首を縦に振り、うなずいてくれた。

危篤状態であり、子供と3人で付き添った。

夕方になり、脈拍は徐々に低下、

2006年12月26日20:40 永眠した。