思うこと

手遅れになるまで気がつかなかったのかと、よく叱責のようなことを言われる。

入院する3〜4ヶ月前の2005年秋の頃、体調が優れないとこがあったので、一度、専門医に見てもらったらと勧めたが、以前にも年に幾度か、食事を取らなくて、一日か二日寝込むことがあった、今回も、二日ほど寝て回復したので、余り気にもかけていなかった。

2005年の年末年始にかけて、体調の悪い日が続いたので、2006年の年明け早々に総合病院に行き、胃癌を発見され、手遅れの状態であった。

1957年4月3日結婚、2006年12月26日亡くなるまで約50年間、付き添ってきた妻の異変に対処できなかったことが残念でならないが、これも、運命と定め諦めている。

人それぞれの生き方があるように、少年にも、子供も成長し夫婦二人で構築してきた家庭を持ち、現役を引退して60才を過ぎたらお互いそれぞれの趣味を生かしての生活を歩んでもいいのではないかが持論であった。

趣味の違うことからある距離をもって平行に歩いてきたような気がする。

もっと耳を傾け、同じ目線で話すことが出来なかったのか、水平トークの姿勢が足りなかった。

このような自責の念からか、一周忌を迎えるまでの一年間、風雨も辞さず毎朝墓参を続けられたものである。

一周忌も過ぎ、振り返ってみれば今日で2ヶ月、厳冬期ゆえ寒さも厳しい日、道路の凍結を憂い、こんな日は来るなと言っているような、一日さぼり二日目も、三日目は絶対に行こうと誓うことも二度三度。

時の経過か軟弱か、節目も過ぎて変貌も著しい。

また、俺より一寸先に逝っただけではないか、運命と諦め、慰めている。

現世では苦労の連続であったが、彼岸では、きっと心優しい素敵な方々と楽しく過しているものと信じている、また、そうあって欲しい。

あまり良い夫ではなかった少年には、待っていてくれとも言えないし、もう、おじいさんとはこりごりだと言われるかも知れないしー なぁー母ちゃん!

まだまだ、神亀にはなれない少年、俗世に尾を曳く亀である。

注:生前におじいさんと呼ばれていた、当時は万年青年に向かってと思っていたが、今では愛着がある。

2008/02/26 祥月命日の日に   良知