伊勢湾台風

1959年9月26日伊勢湾台風(台風15号)は紀伊半島に上陸した後、北北東に進み、瞬間最大風速60メートルを越える暴風雨となって丁度満潮時となっていた伊勢湾を襲った。

この超大型台風により、名古屋港周辺の家屋は倒壊流出し5000人を超える犠牲者を出したのである。

当然、当保安部においても非常配備が発令され全員部署に就いていた、このとき、基地待機室に詰めていたのであるが、夜になって段々風雨が強くなり停電、ロウソクを灯し玄関を覗いて見ると、たたきに水が進入して来たが雨によるもと思っていた、しかし、段々と水嵩が増し、外は腰ほどまでの水嵩、逃げることも出来ず天井裏に上がり、おもいおもいに桁に跨り、話しをしながら台風の通過を待ったのである。

少年は、悲愴で無言な暗黒の闇の中にあった。

妊娠八ヶ月の妻が、堤防道路からメートルと離れていない海抜ゼロメートル地帯に住まわせている、この濁流では倒壊し流されているに違いない、ただ、生きていてくれと祈るのみであった。

暴風雨が通過した午前0時過ぎに船長から家を見て来いと言われ、潮の退いた基地を出て表通りに出たところ,路肩に軒を連ねていた家屋は跡形も無く、道路には電柱が倒れ、ものが散乱し道路は歩ける状態ではなく、最短距離を行こうと、堤防道路から降り、深いとこでは胸までもある水を漕ぎながら我が家へ急いだ。

我が家(四軒長屋)に着いてみると、玄関の引き戸は流され、六畳一間の畳は部屋の真中に積み重なっていた(部屋の中で濁流が渦を巻いたのであろう)、半間の押入れを開けたところ、物が一杯詰まっており、妻の姿は見当たらなかった。
直ぐに大家に行って見るとタナコの4世帯が2階に避難していた。

妻は、水嵩も増して来たので、玄関から外に出ようとしたが水圧で戸が開かなく部屋にいると、裏から呼ぶ声があり、隣人が四角の窓ガラスを破りそこから救出されたという。

8ヶ月の身重な体がどうして出られたのか、いまだに不思議だと言う。

床を水が洗う状態では住むことも出来ず、愛知県扶桑町の親戚にお世話になることになった。